いわゆる「第三セクター」についてのやり取りを聞く機会があった。市民と市議会議員の自由な意見交換の場。
若手議員「病院のような公(おおやけ)の仕事は利益が出ないから公がやるしかない。三セクも程度の差こそあれ、公益性があるから公が関与している(出資している)。その公益の部分がいるいらないかで三セクの存否の判断をすべし」
三セクは株式会社だ。
市民「三セクは株式会社なのだから、黒字を出す(利益を生む)ことが至上命題。黒字を出さねば厳しく追求すべし」
若手議員はその株式会社が、「黒字なら結構、ぎりぎり黒字でもいい」と考える。さらに「赤字でも仕方がない」、ただ三セクに関しては、赤字を是とするかどうかはこの公益性というものさしではかるべきと考える。
一方、株式会社は利益を追求する組織。会社法的な論理から言えば赤字なんてとんでもない。
わかりづらいかもしれないが、株式会社、会社法法人についての議論で、こういうすれちがいがある。
僕は会社法も株式会社もこの社会で決めたひとつの仕組みなのだから、可能な限り自由に使えばいいと思っている。若手議員の言っていることはぜんぜんおかしくないし、そういう捉え方だって当たり前に現行法上成立しうる。それがおかしいというなら、会社法は違うかたちで構成されているはず。それが法と社会の関係だと思う。
会社組織はそこら中にある。いろいろな会社がある。多様な形、多様な価値観の会社があっていい。その多様性は株主の考え次第。株主が若手市議のように「利益はほんの少しでいいよ」「赤字も覚悟」というのもありだ。株式会社、会社法法人という言葉を振りかざして、杓子定規にそれを否定するのはナンセンスだ。
僕がここのところ直面しているのは会社についてのかんがえ方の、こういう感じのすれちがい。
出資関係を整理して問題を解決することで考えが固まった。