某掲示板などを見たら、上越市が購入をもくろんでいる国宝の刀は「価値が目減りしない資産なので税金で購入した方がいい」という話が少し幅をきかせている。バカバカし過ぎて付き合いきれない。
掲示板などでは「バランスシート上では刀は資産だが、厚生産業会館は負債」などと言っている人がいるが、バランスシート上では刀も厚生産業会館もどっちも資産だ。こんなことは誰もがわかる。一番バカバカしいのは、「資産価値が減らないから買って損はない」という損得勘定の議論。そんなに購入が「得」なら民間企業が買えばいいし、公が関与する必要はまったくないことになる。この議論は、市が買ってもいいという主張とは逆で「税金で買うのは反対」(民間で買えばいい)ということに帰結するはずだ。
この刀の話は、典型的な公的領域に関する議論だと思う。警察や消防、医療などを例に挙げるまでもなく、公は損得勘定ではない部分を含んでいる。
ここで発せられているのは「刀に税金を投入するのは正しいのか」という問いだ。問われているのは「正しさ」とか、大げさにいうと「正義」とかそういったことだ。山鳥毛の件はこうした公的領域の出来事であるが故に、まさに、一部の市民有志これからやるフォーラムのような開かれた場での議論(Speech)によって決っせられる事柄だと思う。こうした行為が「政治」と呼ばれるものの本来のあり方だと思う。
この話は、価値観、世界観の相違が根底にある。
商業的、経済的成功が至上の価値だと信じて何でも損得勘定にする人がいる。
他方、公的領域について語ることは、善悪や永遠に関わる価値について語ることだ。
この辺の感覚というか価値観の相違がある。